企業における「人事異動」は、社員にとってモチベーションやエンゲージメントに直結するイベントであり、人事が最も稼働的を費やす人事施策のひとつです。毎年春から秋にかけて多くの企業で人事異動が行われ、社内の緊張感や新たな活力が生まれるきっかけとなっています。しかし人材の流動性が高まる現代社会において、「人事異動は本当に必要なのか」という問いが、改めて問われるようになってきました。
働き方改革やジョブ型雇用の浸透、副業やリモートワークの定着により、社員のキャリア観やライフスタイルは多様化しています。こうした中で、企業がこれまで当然と考えていた「異動」についても再考が迫られています。本記事では、企業における人事異動の役割とその必要性、異動が行われないことによって生じるリスク、そして過去に起きたトラブル事例を通じて、あらためて「人事異動の意義」について考察します。
1. 人事異動の目的とは何か?
人事異動とは、従業員の配属や職務内容を変更する施策を指します。異動には、大きく分けて次の3つの目的があります。
- 組織活性化・マンネリ防止
長期間同じ部署・業務に従事することで、固定観念や業務慣れによる生産性の低下が起こりやすくなります。異動は新しい環境を与えることで、視点の刷新や能力開発の促進を狙います。 - 人材育成・キャリア形成支援
多様な業務を経験することで、従業員のスキルアップやマネジメント力の向上が期待されます。特に将来の管理職候補に対しては、異なる部門を経験させることがリーダーシップ開発に有効です。 - 組織戦略との整合性確保
企業戦略の転換や新規事業の立ち上げ時には、必要なスキルや経験を持つ人材を適所に配置する必要があります。人事異動は、戦略実行のための最適なリソース配分手段として機能します。
2. 近年の人事異動のあり方──“一律異動”から“戦略的異動”へ
従来、日本企業では「年次や勤続年数に応じた一律の定期異動」が主流でした。しかし現在は、そのスタイルが見直されつつあります。近年の傾向としては、以下のような変化がみられます。
- ジョブ型雇用の導入により、異動範囲が限定的に
職務内容を明示し、それに基づいた雇用契約を結ぶジョブ型雇用では、原則として本人の同意なしに大きな異動は行われません。このため、本人のキャリアビジョンや適性といった視点がこれまで以上に重視されるようになっています。 - エンゲージメント向上を目的とした“自発的異動制度”の拡大
社内公募制度やFA(フリーエージェント)制度など、従業員の意思を反映した異動制度を導入する企業が増えています。たとえばリクルートでは「キャリアウェブ」という社内公募制度があり、社員が自ら異動先を選べる仕組みが整っています。 - 多様性重視の「適所適材」へのシフト
従来の「適材適所」から、個々の社員の特性に応じて“その人が最も力を発揮できる場所を見つける”という「適所適材」への視点も広がっています。異動の目的が、企業都合から、個人の価値最大化へと変わりつつあるのです。
3. 人事異動を行わない場合のリスクとは?
「社員が望んでいない異動は生産性を下げるのではないか」「異動せずに専門性を高めたほうが良いのではないか」という意見も根強くあります。しかし、異動を行わないことで生じるリスクも軽視できません。
(1)視野の固定化とイノベーションの停滞
長期間同じ業務に従事していると、業務の効率化は進む反面、外部との接点が少なくなり、新たな視点や改善の機会が失われます。結果として、業務の形骸化やイノベーションの阻害につながります。
(2)コンプライアンスリスクの増大
一部の企業では、固定化した人間関係や権限の集中により、パワハラや不正が発生しやすい環境が生まれてしまうケースもあります。異動によって組織に風通しをもたらすことは、こうしたリスクの抑制にもつながります。
(3)業務継承・後継者育成の失敗
専門性が高い人材を異動させずに長期間同じポストに据え続けた結果、業務が属人化し、後継者が育たないという事例もあります。特にベテラン社員が退職を迎えるタイミングで、引き継ぎが不十分なまま現場が混乱するリスクは大きいです。
4. 実際に起きたトラブル事例
事例1:ある製造業でのコンプライアンス問題
大手製造業A社では、同じ部門に長年配置された管理職によるパワハラ問題が内部告発によって発覚しました。調査の結果、部門内での閉鎖的な人間関係や監視の目の届かない状況が長期間続いていたことが原因とされ、社内規定の見直しとともに、定期的な人事異動の強化が行われました。
事例2:業務属人化による後継者不足
B社(IT企業)では、特定の業務領域を長年1人の社員が担当していたため、退職時に引き継ぎがスムーズに行えず、数ヶ月間業務が停滞。プロジェクト全体の進捗にも影響が出ました。これを受けて、同社では「業務継承リスク」を洗い出す体制を整備し、ローテーションを推進しています。
5. まとめ──人事異動の未来に求められるもの
人事異動は、単なる人の“配置転換”ではなく、「人材活用と組織活性化のための重要な手段」です。これからの時代、企業は画一的な異動制度ではなく、以下のような視点が求められます。
- 個人のキャリアと組織戦略をすり合わせた“納得感のある異動”
- 社内公募やキャリア面談を通じた“自律的キャリア形成の支援”
- リスク回避としての“定期的な環境変化”の仕組み化
社員が納得し、自ら成長を実感できる人事異動こそが、これからの企業の競争力を支える土台となるのではないでしょうか。
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